醜い白鳥

ひとは、生まれてくる場所を選べない。
ひとは、生まれてくる身体を選べない。
ただ、それだけのことなのに、わたしは生きることを諦めることを選ぼうと思う。

3月から4月にかけては、毎回憂鬱だ。
わたしがわたしであるための、“事情”を説明しなければならないから。
わたしは、日常生活を多くの人と同じように“普通”に送ることができない。
先天性の病気、高校生の時に受けたいじめによる精神障害、それに付随する身体的な症状……。
これらを“説明”しなければならない。
しかも、その説明が理解されるかわからない状態で、説明しなければならない。

非正規雇用の身であるから、勤務先が変わるたびにこうした「説明するコスト」を負担しなければならない。
説明するたびに、なぜ今このような状態であるのかといったことを詳細に思い起こしてしまう。忘れたいのに忘れられない記憶がずっとある。

高校生の時にわたしをいじめてきた学級委員は、看護師になっているそうだ。
それもわたしを絶望させた。
いじめの加害者が看護師としてケアの場に立っている一方、被害者だったわたしは未だにフラッシュバックとパニック発作に苦しんでいるというのに。
腹立たしいという言葉では言い尽くせない絶望がある。

そして、昨今のSNS事情にも絶望している。
ヘイトスピーチが乱立し、よく知らない人たちが憶測でものを語り、その属性とされた人々がまるで周囲を汚染するかのような書きぶりで攻撃される。
同じ生物だとは思えない。

こうした世界に対して絶望し、もう生きている意味を感じない。

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